2010年12月23日のブログ|The Outer Space
私、物事を考えた時、結論に達するまでにとても時間がかかります。
あれこれ考え、悩んで、落ち込んで、今日思った事が、明日は違うように思えてくる。
だから、とことんまで考えて、最後の結果を出すんです。
スキっきりしたと思っても、違う角度から見たら、そうじゃないような気がして来る。
そんな風に、書くという事を考えたのは、本当に久しぶりのような気がします。
フェイスブックの方にも、少し記してみたのですが、自分にとって書く事は体の一部で、奪われたらバランスを崩してしまうくらいに、なくてはならないもの。
特に、物語を空想して書いていく事が何より好きで、それが生きる糧にもなっているんですよね。
だから、ひたすら書き続けた。
これだけは、手放さず、投げ出さず、諦めず、ずっと。
本来、物語を書く時、私は細かくプロット作り、綿密に組み立てていくタイプです。
人物から始まって、その世界、背景、物語には出て来る予定のない特産物や、家庭環境、歴史、そんなものまで考えて、完全な世界を作ろうとしてしまうタイプです。
そして物語を書いたら、何度も、何度も、読み直します。
言葉の使い方や、流れや、動作にも気を使いながら、不自然な所や矛盾した場所をひつこく探して、それから完成させます。
そんな私が、唯一感情だけで、そのまま書いてしまうのは、日記。
若い頃は、日記をつけていました。
でも、日記なのにその日の出来事など殆どなく、その時の感情をありのまま書いている。
分かりにくい、難解な表現で、神経質に書きなぐっている。
そんな日記。
だから、日記って、ついついそういう書き方になってしまいます。
これって、癖なのかもしれません。
内なるものの、垂れ流し(笑)
冷静な時は、絶対にないんですが、冷静じゃない時はそういう書き方。
これは、まずい。
そして、ふと気づく。
分子相同性は何ですか
誰も読んでいない、読まれていても、誰が読んでいるか分からない、全くしらない人ばかりが読んでいる、そういう時には、感情の起伏が起こらないという事。
書いてしまって恥ずかしいと頭を抱える時は、やっぱり顔を合わせた事があり、会話を交わした事があり、私のこの内面の一部(あくまでも一部です。様々な面を組み合わせて、私という人間が出来ているので)を知らない人に知られれた事とか、そういう場所で親しくなってきた人がいるのに、思わず書いてしまった時、まるで母親に日記を読まれた時のように、恥ずかしい気持ちになって、感情が揺れるようなのです。
と、自分を分析する。
この、自分を分析しようとするのも、若い時からの癖。
でも、それが、何時も自分を冷静に戻してくれるので、必要な事。
もう大丈夫。
そう言った後も、ずっと悩んでました。
悩みの間、ツイッター等に投稿してしまうと、単純だからモロに出てしまう。
だから、今回、更に文章の方向性も考えるため、数日休む事にしました。
私、本当に書きたいものは、FSだという事、前から私のブログを読んで下さっている方は、ご存知ですよね。
だから、ブログの題名も「大気圏外」
重力を解き放って、宇宙に飛び出そう。そんな気持ちで、作ったブログです。
スピーディで、冒険的で、ワクワクドキドキしたものも勿論書いてみたいのですが、一番書いていきたいのは宇宙開拓の話し。
勿論、主人公は日本人で、最初の舞台も日本。
地球の軌道上を回る衛星のような宇宙コロニー、舞台はそこから始まります。
彼らのコロニーの生活を、別世界でありながら日常的に、様々な出来事を描きながら、静かに、優しく、物悲しく、でも時には激しく書いていきたいと思っています。
宇宙コロニーから、やがて他の星へ、そしてその星での未知なる生活。
ブラッドベリのように、心の打つ風景描写。川端康成のように、情緒的な言葉選び。そんな自分の中の尊敬する巨匠を思い浮かべながら、一行読んだだけで私と分かる自分だけの文章で、何時か書きたい。
その題名が、「The Outer Space」
つまり、このブログの題名。
いずれ、書く小説の題名を、これにしようと決めたんです。
そんな自分の夢を背負ったブログ。
そして、サイトの方にも同じ名前を使う事にしたのは、未来への私の思いから。
人々は黒いdwards近くに得ることができますか?
今は、無理なんです。
文章力と経験が、まだまだ足りない。
それに、知識も必要。
自分の本当に書きたいものが、腕不足で書けない。
悔しい。
だから、文章修行をしよう。
今、自分の書きたいものが書けないなら、書けるものを使って、表現してみよう。
例えば、自分の事。
誰も興味をもたないような、個人の出来事を書いて、読み手を惹き付けてみよう。
自分の存在の意味と、記録と、ちょっとだけ宝物にする為。
そういう気持ちで、このブログを書きはじめました。
そして、沢山の人が惹き付けられる文章を書けるようになったら、少しづつプロットを作って、基盤を作って、骨組みを作って、用意した物語を書こう。
10年という歳月をかけて。
それが、私の中にある気持ち。
だから敢て、自分というネタを選んだ。
そして同時に、自分探しの旅にも出かけたのです。
そんな自分の思いを流してしまうように、簡単に感情を吐露するのは、どうなのだろう?
と、思ってしまった事が、悩みの始まり。
読んで!
と差し出された文章を、なかなか読む気がしないように、叫ぶように溢れる感情は、読ませるには相応しくない。
だけど、叫んでしまう。
止めようと思うのに、書いてしまう。
良い文章は、自然と人が集まって来るんです。
私は、それを知っているのです。
そんな経験をした事があるので。
激しくアピールしなくても、いいんです。
ただ、自分の文章を、魂を込めた文章を、書いていればいいんです。
だけど、スランプになると、目がくらむ時がある。
読んで欲しい気持ちで、行動してしまう事がある。
その上に、無様な失敗をやらかす。
すると、一生懸命やってても、人は去っていくのです。
私は、いつの間にか、読んで!という気持ちになったのではないか。
それも、自信満々ではない癖に、でも読んで欲しいと差し出す曖昧さ。
それじゃ、駄目だ。
作家の夢なんて、ほど遠い。
そして、何かでツマづくと、様々な部分でボロが出て来ます。
活力が減退するからでしょう。
euclids理論とは何か
どんなにアピールしたって、読んでと差し出したって、必死になっても、その人が目を通さなければ意味がない。
私を知ってもらう事も必要だけど、親しみを持ってもらう事も必要だけど、それは後の段階なんだ。
まずは、文章を書く事。
それは、感情を吐露するだけの代物ではなく、きちんとした、読ませるための文章を書く事。
10年後。
それに向けて、努力する事。
だから、やっぱり甘くする訳にはいかない。
スランプとか、書けないとか、仕方ないとか、それは理由にならなくて、私は読ませる文章を書けるようにならねばならないのです。
全てが、その為の文章修行で、ブログではほんの少し生き抜きもさせてもらってますが、(すいません)、他の場所では余す事なく自分の文章を、より自分らしく表現していかねばならない。
たった一行でも、私の文章だと分かるように。
それが、ツイッターを始めた意味。
「つまんねぇ」
なんて言われたとしても、それは覚悟の上。
なら、もっと面白いやつを書いてやる。
そうやって、私は今まで成長してきました。
これからも、同じ。
一つに向かえなくて、様々な物語を書いては、中途半端にしているのも、多分スランプ状態だから。
でも、このままには絶対しません。
私が一番大切にしている事は、書きはじめた物語は、必ず終わらせる事。
それが、自分の力にもなるし、読者への信頼にも繋がるので。
ですから、突然病に倒れる、なんて事がない限り、必ず私の物語は完成させます。
それだけは約束します。
10年。
長いようで、長くない。
この10年が、あっと言う間であったように。
だから、ほんの少しでも無駄には出来ない思い。
音楽と文章。
楽しむ事と言いましたが、音楽は趣味で、人前で吹くといってもお金を取る訳でもないし、趣味の延長であるから、素直に、何も考えずに楽しめるんです。
だから、私にとって癒しの場。
文章は、私の一部。
苦しみながら、悩みながら、でも書く事がやめられなくて、物語を作る事が楽しくて、続けてきた事。
そして、何もない自分に、大きな力を与えてくれた。
それによって、夢を与えてくれた。
人に、認められるという経験をした。
だから、苦しんで、苦しんでも、決して手放すつもりはないもの。
楽しくない時があっても、必要なもの。
これからも、きっとそうなのだと思う。
一つ、勉強しました。
正直、ツイッターに関しては、フォロワーが突然増えて(190人から一気に800人まで)、沢山フォロワーを持っている方から見れば、全然たいした事はないんですが、私はその多さにパニクったのは確か。
それだけの人に文章を読まれる。
怖くなって、自分の言葉に逃げた部分もある。
カッコつけたり、当たり障りなくしたり。
その中で溜まっていた疑問符が、突如自分の中で大きくなった。
そして、また動揺する。
セーブ、セーブ。
大切なのは、そこじゃない。
自分を見せる事じゃないし、自分を見てもらう事じゃない。
私の文章、それが全て。
でも、もう逃げません。
正々堂々、自分の文章を見せていきます。
自信もちょっとはあるんですが、もう片方の自分がどうしても尻込みするので(笑)、中途半端な文章になってしまって、それもマイナスだった。
自信過剰にはならないけれど、見せてもよいという自信があるから、公開してる訳ですからね。
それは、ネットで小説を出している人達全てに言える事でしょう。
自信がない、そんな訳がない!
本当に自信がなければ、見せない筈。
自信がないのは、私自身の話し。
人から見たら、些細な事。
でも、それでも、悩んで、考えて、自分の方向を考えるのは、悪い事ではないと思います。
一気にフォロワーが減っても、私は私の文章で表現していこうと思った。
でなければ、修行の意味がない。
私の文章を読んで下さる人は、みんな大切です。
それは、当然。
その人達に恥じぬよう、これからも精進していきます。
一つ解決すると、テンションが上がって、でもまだ全ては解決していなくて、そんな感じの数日でした。それもまた、精神修行。
読んでもらうための文章を書く事。
それを念頭において、これからも頑張っていく所存です。
やっと今、ここまで気持ちが到達しました。
あとひと息で、完全復帰。
壁は、何の為にある?
引き返すため?
ぶち壊すため?
いえいえ、私の場合、乗り越えるためにあるのだ!
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