ポーラ・ラドクリフ研究
"マラソンに不向き"なフォームで脅威的な世界最高記録を樹立
今回は今私に、究極の身体開発の時代がいよいよ始まったと感じさせているアスリートの1人、長距離ランナー、ポーラ・ラドクリフ(図1)についてお話します。これは陸上競技関係者にはもちろんのこと、そうでない方にもこれからの人間の身体、身体運動、そしてその開発について考える上で大変参考になる話だと思います。
ラドクリフは18歳からクロスカントリーや1万mで世界的な活躍をしつづけ、2002年4月、ロンドンでマラソンデビュー。いきなり当時の世界最高記録にわずか9秒と迫る2時間18分56秒で優勝。さらに同年10月、2回目のマラソンとなったシカゴマラソンで2時間17分18秒という脅威的な世界記録を樹立。今、世界の女子マラソン界を震撼させているイギリスの選手です。(その後2003年に2時間15分25秒の世界記録を樹立)
私がラドクリフに興味を持ったのは、彼女の初マラソン前、"あのフォーム"では42kmはもたないという専門家の評が大勢を占めていたこと、それを覆す素晴らしい成績を残した今も、"あのフォーム"で押し切れるのは、がっしりした体格から生み出される猛烈なパワーがあるからという評や、あの走りにはこれまでのランニングフォームの常識を破る何かがありそうだが、何だかよくわからないという声もあること、高橋尚子を指導する小出義雄監督が彼女には2時間15分を切る力があると言っているということを聞いてからでした。マラソン専門家によれば"あのフォーム"で問題視されるのは、首を縦に振りながら、肩をいからせ、脇を開けてぐいぐい腕を振り、ガニ股気味で足の外側から接地する点だと言うのです。
そこで私は彼女が世界記録を樹立した時の走りをビデオでじっくり観てみました。これが、私が彼女を見る初めての機会です。そして、これはとんでもない選手が現われたと感じました。なるほど、外見だけ見ると、確かに首は不規則に上下に振られ、いかり肩で脇は大きく開かれ、腕は体幹部からかなり離れたところで振られ、両脚もセンターラインにキレイに沿って振り出されずO脚気味。着地は足の外側から入っていて、しかも足を着く位置も一線ではなくバラバラ。この外見ではいかにも無駄が多く見え、マラソンに不向きだと言われるのはもっともです。
しかし、その外見の内側に目をやると、そこにはこれまでのランナーには観られなかった画期的な動きがありました。それを一言でいうと、トカゲのような動きです。そして"あのフォーム"で問題視されている点のすべてが、このトカゲのような動きから生まれていることがわかったのです。
四足動物の動きが、スポーツの高度なパフォーマンスに近似しているという考え方は最近いろいろな人たちが唱え始めていますが、まさか爬虫類であるトカゲの動きを人間がすると考えている人はいないのではないでしょうか。しかしながら私の研究では、爬虫類よりさらに遡った魚類の動きをも人間は体現し得るし、それによって非常に高いパフォーマンスが生まれることも解明されています。ですから四足動物と魚類の間にいる爬虫類の動きを人間が体現することは、当然あり得るのです。このことは昨年(2002年)10月に上梓した『究極の身体』(運動科学総合研究所)で詳しく論証していますから、ぜひご参照ください。
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ラドクリフの首振りの基本は、トカゲの首の動きのと同じ
では、私がラドクリフはトカゲの動きをしていると言う具体的な根拠を挙げていきます。
彼女の首の動きには、左腕が後ろに引かれ左脚が前に運ばれる時に、首が少し左よりにかしぎながら前傾するという基本パターンがあります。これはトカゲが前に進む時の四肢と首の動きの関係と同じです。
少し複雑ですが、実際にご自分でも動きながらついてきてください。ここからは人間の動きとの関係を分かりやすくするために、トカゲの前肢を腕、後肢を脚と表現して説明していきます。トカゲの前進運動では、たとえば左腕が体重を支えながら後ろに引かれる時、右腕が浮きながら前に運ばれ、右脚は支持脚で左脚が浮きながら前に運ばれます。そして、この時、トカゲは首を左に向けて垂れるのです(図2)。逆に左腕と右脚が前に運ばれる時は、首は右に向かって垂れる。これがトカゲの動きの基本パターンの一つなのです。
では図2のトカゲを立ち上がらせてみましょう。すると、右脚が支持脚で左腕が後方に振られ左脚が浮きながら前へ運ばれ、首が左側に垂れる(図3)。これは正にラドクリフに見られた首の動きの基本パターンと同じです(ただし、彼女の場合、次にお話する「片漕ぎ走法」で、左肩腕を強く大きく長く下後方に落としているため、左腕の戻りと右腕の引きのタイミングが遅れている点が異なります)。
世界でどのように多くのゴキブリ
さらに彼女は、このようなトカゲの動きをベースに私が「片漕ぎ走法」と呼ぶ動きを加えています。「片漕ぎ走法」とは、片側(彼女では左側)の上体と頭を落としながら腕を後ろに振る動きで、対側脚(彼女では右脚)に強い水平推進力を生む一方、同側脚ではより強い垂直方向への支持力を発揮する走りです。
一般にフォームは左右差が少ない方がよいと思われがちですが、競走馬を見ればわかる通り、四足動物は疾走時、前肢と後肢がぶつからないようにするため、皆左右不均衡で、体軸と進行方向が必ずしも一致せず、斜めに走っています。江戸時代の天秤棒を担いだ職人たちも斜めに走っていたし、高橋尚子選手も斜めに走っています。だから人間も左右不均衡であってもいいのです。問題は、それで優れた走りができるかどうかなのです。この点については拙著『スーパースターその極意のメカニズム』(総合法令出版)に詳しく書きましたので、ご参照ください。
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ラドクリフはトカゲ型ローテーションで前進する
ラドクリフが脇を大きく開きO脚気味なのもトカゲと似ています。トカゲは四足動物と違い体幹部の両サイドからいきなり真下(図4の身体座標空間でいうとX軸方向)に向かって前肢も後肢も出ていません。まずは人間でいう上腕と大腿の部分がガニ股状に横に(図4の身体座標空間でいうとZ軸方向)向かって出て、それから前腕、下腿に当たる部分が下に向かっています。そのトカゲをそのまま立たせるとどうなるでしょう。脇と股が大きく開き、まるで相撲の四股立ちをしたようになります。ラドクリフの脇の開き方も脚の開き方もそこまでではありませんが、方向は同じです。このような体幹部と四肢の構造だと、肢が動けば体幹部が動きやすく、体幹部が動けば肢が動きやすいのです。
では、トカゲが前進する時、体幹部はどのように動いているのでしょうか。前進するトカゲを真上から見ると、泳いでいる魚を真上から見た時と極めて似た動き、すなわち背骨を蛇行させる動き、身体座標空間(図4)で言うと、YZ平面上の動きをしています。そこでラドクリフの体幹部を見ると、量的にはわずかですがハッキリとそのパターンが見られるのです。四足動物もこのような動きをしないことはないのですが、四足動物では疾走するチーターの背骨の動きに見られるようにXY平面上の動きが主流です。そして、ここはトカゲと異なる点ですが、彼女はそのYZ平面の動きと、それと直交する前後方向、つまりXY平面の動きを同期させながら走っているのです。彼女はその2方向の運動を同期させることに、マラソ� ��を走るごとに習熟してきていますが、まだズレがあります。彼女は首を数回前後に振ってはスッと立たせる動きを見せるのですが、あれで彼女はそのズレを調整しているようなのです。
さらにラドクリフの体幹部と四肢の動きを分析したところ、私がトカゲ型ローテーション運動と呼んでいる動きが見られました。トカゲは四肢を動かす時、四肢を先に動かすのではなく、まずは体幹部をローテーションさせて全身に蛇行運動を起こし、その動きに少し遅れながら、それと協調するように四肢が動くのです。
ラドクリフの胸の動きを見ると、ちょうど肋骨の部分に平べったい球体(「肋体」と呼ぶ。図5)のようなものがあって、それが左右交互にローテーションし、その動きに導かれて腕が動いています。また、腰の動きを見ると、骨盤の部分にも平べったい球体(「腰体」と呼ぶ。図5)があって、これも左右交互に、それも肋体が動く側と反対の側がローテーションし、その動きに導かれて脚が動いています。
ちなみにこのトカゲ型ローテーション運動は、現在男子マラソンの世界最高記録を持つ米国のハリド・ハヌーチにも見られます。ハヌーチの場合、腰体のローテーションはそれほど使っていませんが、肋体は3次元のローテーションを見せ、ラドクリフより進んでいます。このようにトカゲ型のローテーションをするマラソンランナーが同時に2人も現われ、世界記録を更新したというのは、大変興味深いことです。
また、ラドクリフはもしそのまま着地をすると捻挫をするのではと思えるほど、着地寸前まで足裏を内側に向けています。しかし、彼女の場合、倒れた首が元に戻ろうとする動きと連動するように、着地寸前に外から内に向かって地面を押す力をわずかに働かせて足を平らに戻す動きをし、それも前進力につなげている(図1)。だから、捻挫の心配がないどころかそれによっても速さを加えているのですが、これも後ほどお話するエリマキトカゲが立って走る時の足の着き方と大変よく似ています。そして、足の着く位置が一線にならず、バラバラなのもエリマキトカゲに似ています。
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癌における熱ショックタンパク質上の構造
水面上も駆け抜けられるエリマキトカゲの走り
ランナーの動きを見る目があるマラソンの指導者やスポーツ科学者たちで、ここまで読んでいただいた方は、ラドクリフの走りはトカゲの動きに似ているという私の分析を、ある程度は納得してくださったと思います。となると、皆さんが次に抱くのは「でも、トカゲって速いの?」とか「爬虫類は、スタミナないんじゃない?」という疑問でしょう。
スタミナに関しては、トカゲは変温動物で定温動物の人間とは生理生化学的な機構が違いますから、比較のしようがない。だからこの点については論議をする必要はありません。
ですからバイオメカニックな問題に絞って話を進めていきます。
実はトカゲは身体の大きさ、脚の短さの割に大変速い動物なのです。たとえば日本トカゲはわずか体長15~20cmで、その脚は人間の爪ほどもないのに、並大抵の人では捕まえられないほど速く動きます。昔、日本トカゲが日本脳炎の宿主なのではと疑われ、研究者たちが捕まえて研究しようとしたのですが、自分たちでは捕まえられず、結局、誰か捕まえて提供してほしいという記事を新聞に出したほどトカゲは速いのです。
そうなると、次にもたげる疑問は、トカゲが立って後肢だけで走ることができるのかということでしょう。この疑問に対しては、エリマキトカゲの実例でもってお答えします。
エリマキトカゲは、今から20年ほど前、テレビのコマーシャルに登場し人気を博したので、ご存知の方も多いと思いますが、あのトカゲの体長は1mぐらいです。しかし、後肢は、ちょうど人間が親指と人差し指を立てたくらいしかありません。にもかかわらず、彼らは後肢だけで立ち上って時速27kmで走るという尋常ではないデータもあるし、走り出して沼や池にぶつかると、そのままその水面を走って渡ってしまうという事実もあります。「左足が沈まないうちに右足出し、右足が沈まないうちに左足出す」という忍者伝説を正にやってのけて、水面を渡りきってしまうのです。チーターが時速100kmで走るといって私たちは驚きますが、エリマキトカゲは、そんなことをはるかに凌駕する、おそらく地上の動物では最高の移動運動 のパフォーマンスを見せているのではないでしょうか。
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人間は四足動物、爬虫類、魚類の動きを復元できる
このように二本足のトカゲ走りは現実に存在し、バイオメカニクス的にも説明できるとなると、次に起こるのがそのような動きを人間が導入できるのか、という疑問でしょう。この疑問に対する私の答えも「イエス」です。
私は人間がそのような動きを導入できるというより、人間は自身の中にそのような動きを"復元"できると考えています。私があえて復元というのは、私は人間の身体には、人間が進化してきたプロセスの中で必要なDNAは残されているはずと考えているからです。つまり、私たちはエラはなくなっても、魚類や爬虫類のような体幹運動、あるいは四足動物のような肩甲骨の使い方などもできるような身体を持っているはずなのです。ただ、それを忘れているだけなのです。
といっても、人間の場合は他の動物のように、ただDNAに任せ学習をすることなしに、そのような動きをしにくいのですが、学習によっては、いくらでもそのような動きができる身体構造をしているはずなのです。だから、私は、導入というより、復元という表現の方が正確だと考えるわけです。
ちなみに先にご紹介した『究極の身体』における"究極の身体"とは、人間の身体の中にDNAとして温存されている四足動物、爬虫類、さらに魚類の運動構造を復元、再開発した人間の身体のことです。そしてその復元、再開発こそが究極の身体開発であると私は考えています。そして、スポーツの時代といわれた20世紀を経てスポーツが高度化して迎えた21世紀は、究極の身体開発の時代になると考えて、『究極の身体』でそれを提示させていただいたのです。ラドクリフの走りを見た今、私はその考えをさらに強めています。
実はラドクリフ以前にも、魚類型、トカゲ型の身体運動をかなりのところまで開発したスポーツ選手はいます。それは20年以上前に、アルペンスキー界で大活躍をしたインゲマル・ステンマルクです。そして、彼の影響で、今、アルペンスキーのオリンピックやW杯で優勝するような選手は皆、魚類型、トカゲ型の動きを使っているのです。
タラの魚は何を餌ですか?
そのようなことがアルペンスキー界に起きた背景には、カービングスキーの誕生があります。カービングスキーとは、ステンマルクの活躍で彼の素晴らしい滑りがスキー界の神話になった後、スキー作りの天才たちが誰もが彼のような滑りができるスキー板を作りたいと考えて生まれた板です。今、このスキーが世界の主流なのですが、これを使うと魚類、トカゲ系のYZ方向の蛇行運動が起きやすく、それが起きてくると、今世界で最高と言われるレールターン、つまり両足が全く雪面から離れず切り替え動作も無いターンが見事にできてしまうのです。この事実は私の研究実験で実証されており、その記録はDVD『ゆるスキー革命』(運動科学総合研究所)に所収されています。
そして今、そのような道具のないマラソン界に魚類型、トカゲ型の動きをする選手が登場し、人間にもトカゲ型の走りができることを実証しはじめたのです。もちろん、エリマキトカゲのバイオメカニクスはもっと進んでいます。もっと激しく股を開いて、ちょうど相撲の四股立ちのような形で脚を使います。これは、今の多くのランナーが追求しているX方向に脚を前後にきれいにずらし合っていく走りとは、全く発想の違う走り方です。しかもその走り方が奇跡的なほどに速いことをエリマキトカゲが実証しているのです。ですから、あとはバイオメカニクス以前の解剖学的な人間の身体構造で、エリマキトカゲと同じ動きで前進することが可能かを研究する必要がありますが、私は可能だと考えています。
そのわけは、走りではありませんが、相撲では四股立ちで前進する動きがあるからです。現代の相撲取りは余りにもその動きが遅いので参考になりませんが、たとえば40年ほど前に活躍した栃錦の四股立ちによる動きはものすごく速かった。にもかかわらず、それでもって彼が身体を壊すことはなかったのです。
といっても、あの四股立ちでの前進をさらに進めて本当にエリマキトカゲに近い走りになった時、人間の身体が故障しないですむかどうかは、やってみないとわかりません。けれど、そのような走りが生まれたら、それに合ったケアが当然発達するでしょうから、足をセンターラインに沿って前後に動かす今の走りより、全体として故障が少ないこともありえるかもしれません。
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究極の身体開発の時代は、スポーツと日本・中国武術がつながる
繰り返しますが、ラドクリフの出現で、今いよいよ究極の身体開発の時代に入ってきたことを私は確信します。そして、このようにスポーツが高度化され、新しい時代に入ったきたこれからこそ、昔日の日本武術や中国武術の世界で開発された身体の使い方に人々の目が向けられ取り入れられるようになり、何百年ぶりかに武術の再発見が起こることを予測します。
何百年前かの武術は、身体の使い方において、今のスポーツの最高レベルよりもっと高いところまで到達していました。しかし、スポーツが低い段階にあった時代は、武術の世界で開発された身体の使い方は余りに高度すぎ、スポーツには受け入れるどころか、受け付けることさえできなかったのです。
そのような時代を経、私自身は1980年代初頭から、武術の世界で私が見い出してきた様々な論理を一般化し、それをメソッド化したものを日本の数多くのスポーツ選手や芸術家に教え込んで成功し、その有効性を、時代に先駆けて実証してきました。その後こうした仕事は、いく人もの武術教育者によって受け継がれ、マスコミなどから注目されるまでになっています。また、武術ではないですが、ヒクソン・グレイシーはヨガの先生に教わっています。スポーツが高度化すれば、スポーツと武術等の伝統身体文化の間でそのようなことが起きるのは当然です。これからはますますその風潮が強まるでしょう。中国武術界の指導者からもスポーツを指導する人が現れるでしょう。
ですから、スポーツ関係者にはぜひ、スポーツがそのような時代に入っていることを知っていただきたい。特にマラソンは他の種目に比べ、身体の使い方を追求することがこれまでは少なかったはずです。それでもマラソンが進歩してきたのは、身体の使い方を重視しなくても進歩できるレベルだったからです。しかしながら、トカゲ走りで女子マラソンのレベルを一気に高めたラドクリフのさらに上を狙うには、身体の使い方も真剣に追求していく必要があることは明らかです。
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優れた身体の使い方は優れた精神状態をもたらす
さらに、マラソンはいわゆる最大酸素摂取能力などで表せる生理生化学的な能力にも左右されますが、心理面の影響も大きい種目であることは、皆さんもご存知でしょう。だから人によってはメンタルトレーニングを取り入れていたりします。しかしながら、その心理的なものに、身体の使い方がとても影響していることに気づいている人はまだ少ないのではないでしょうか。
これは簡単な実験でわかります。肩と背中に思い切り力を入れて胸を反らせたまま5分ほどそのままでいてみてください。いい気持ちですか。ずっとそのままでいたいですか。なんだか胸が苦しく、頭もキーンとしてきて、気持ちに余裕がなくなってきますね。このように身体の使い方はそのまま精神状態に反映されるのです。見事な身体の使い方をすれば精神状態もよくなるし、その逆も言えるのです。
ラドクリフのような身体の使い方をしたら、とても快適でリラックスできますから、ちょっと心が緊張しても、それを克服する方向にもっていけるはずです。大レースでも不必要な緊張はしないですむし、レース中生化学的に苦しい状態になってもリラックスできるはずです。だから、彼女は初マラソンでも、想像がつかないほどのプレッシャーがかかっていたはずの2回目のマラソンでも、自分の力を存分に発揮できたのでしょう。
このような意味でも、マラソンにも身体の使い方のトレーニングは必要なのです。このことも、マラソン専門家やスポーツ科学者にはぜひ覚えておいてほしいことです。
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高橋尚子がラドクリフに対抗するためにすべきこと
さて、ここからは、ここまで読んでくださり、確かにこれまでのトレーニングメソッドや身体の使い方についての認識では、これからの時代に追いついていけないことはわかった。しかし、何から始めればよいかわからないという方へのアドバイスです。
まずは身体、特に体幹部をゆるめることです。ラドクリフは、あのいかり肩、ガニ股気味の外見から一見硬そうに見えますが、実は普通の選手に比べてはるかに柔らかいのです。柔らかいといっても、ストレッチで身体がよく曲がるというような柔らかさではなく、肋骨と骨盤、仙骨、さらにそれをつないでいる腰椎を中心とした全ての脊椎のつながりがゆるゆるにゆるんで柔らかい。だから、この体幹部の中心をなす、普通の人だったらただ固まって直方体の箱のようになって腕や脚の土台としてしか使えていない部位が、様々な変形運動やローテーション運動などを起こしながら複雑に使えるのです。
そして、次はセンターの開発です。センターとは、地球の中心から自分の身体を上下に貫き天に伸びる重心線に沿って形成された身体意識で、武術では正中線、野球やゴルフでは軸と呼ばれているものを専門的に統一した概念です。どんなスポーツでも地球という強烈な重力体の上で運動するかぎりは、地球の中心を正確に感知して、それに対して正確な抗力を出力することが基本ですが、センターが発達しているほど、重心感知能力は高くなるのです。
先ほども申しげたようにラドクリフの足はフラフラしていて、着地も一見でたらめです。また、首の振り方も基本型はありますが、突然止まったように見えたり、左右に首振るような動きをしたり、ちょっとかしぐような動きをしたりとランダムです。足にせよ首にせよ、このようなゆらぎが起きるのは、彼女がトカゲのようにゆるんでいる証拠です。にもかかわらず破綻せずに走れるのは、彼女が非常に高い重心感知能力を持っている、つまりセンターが素晴らしく発達しているからなのです。
このような基本的な身体開発をせずに、ただ、首を上下に振ったり、いかり肩で走ったりなどと、外見のフォームだけラドクリフの真似をしても、速く走れないどころか身体をすぐに壊すであろうことは言うまでもありません。
一方、脱力のトレーニングとセンターのトレーニングをしっかり行なった上で、肋体と腰体のローテーションの開発や仙腸関節の分化など、究極の身体の開発を徹底して行ない、それに対するケアの方法やシューズの開発などがなされれば、ラドクリフよりずっと速い選手が生まれる可能性はあります。私から見れば、ラドクリフは究極の身体がちょっと実現されただけの段階だからです。
高橋尚子もハムストリングスの上部で漕いで脚をきれいに前後に動かしているし、肋体ができかかっていて究極の身体に少しずつ接近しているのですが、まだまだ人間の範疇の動きをしています。だから、やることはいっぱいあります。たとえばハヌーチのように肋体が3次元のローテーション運動を起こすためのトレーニングをしただけでも、もっと速くなるでしょう。それからラドクリフのように仙腸関節を分化し、胸椎の12番から大腰筋を2本の鞭のように使える(双鞭構造)ようにすればさらに速くなるでしょう。高橋尚子もアテネオリンピックに向けて身体の使い方を改善しているという話ですが、究極の身体開発をする方向のトレーニングなくして、記録の上で高橋がラドクリフに勝つのはかなり厳しくなってきたと、 私は見ています。
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